所員雑感
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櫻井惠子
私は司法書士を始めて27年になります。
司法書士がどのような仕事をしているかご存知でしょうか。
概して司法書士は自己PRが苦手で、一般に広く認知されているとは言えず、電話で「司法書士の櫻井です」と名乗って、半数に「もう一度会社名をお願いします」と聞き直されます。
「登記関係の仕事」と言うと「トイレの便器とか売っているの」と言われたこともありました。とは言え、最近は私も自分の職業をなかなか一言で説明できず、もどかしさを感じる場面が多々あります。不動産登記、商業登記、裁判事務、成年後見、帰化・国籍、企業法務、渉外司法書士業務、そして、私の場合には行政書士の仕事もしているので各種許認可手続、ビザ(在留資格)の取得等々・・。聞いている方も解らなくなりますよね。最後には、「つまり法律事務のコンビニみたいなものですよ」と言ってしまいます。
一口に司法書士事務所といっても、地域に密着した町の法律家すなわちホームドクター型、自己破産申立等の裁判事務(本人訴訟の支援)や渉外事件に特化した専門病院型、大規模開発・マンションのような大量事件を扱う大病院型、サービサー業務を手がけるベンチャー企業型、さらには、ヤミ金と闘う正義感に燃えている事務所もあります。
また、司法書士の進路もバラエティに富んできました。当事務所の以前のスタッフも、2、3年実務経験を積んだ後、開業せずに、アメリカのロースクールへ入ったり、上場企業の法務部に就職したり、ベンチャー企業の立ち上げに関与したりと様々な方向に巣立っていきました。
私自身は、無謀にも地縁血縁のない大阪の地で実務経験もないままスタートしたため、仕事を選ぶ前に仕事がなく、依頼があれば何でもさせていただくというスタンスで今まで無我夢中でやってきました。しかしながら、時代と顧客により自然に自分の仕事の方向が決められてきたように思います。バブル崩壊の前後で仕事の内容も質もガラリと変わりました。
崩壊前は、八割が、不動産取引に関わる登記で、仕事内容もある程度パターン化していました。それに比して、崩壊後は、メインの不動産関係の仕事が激減したということもありますが、上記のように多種多様な仕事をするようになりました。効率は非常に悪いのですが、お客さまとの継続的なお付き合いが増え、一つ一つ手作りで事件を解決していく楽しさがあり、やりがいは感じております。
司法書士は、バブル時の反省から、不動産取引にあたり人・物・意思の確認を徹底してきました。
そんな中で、高齢者の意思確認の難しさに何度か直面し、また身近に102歳の祖母がいたため、成年後見制度の必要性を痛感していました。そのため、司法書士が平成11年社団法人成年後見センター・リーガルサポートを立ち上げたとき、迷わず参加しました。
現在、私は86歳の女性の法定後見人をしていますが、少しでも意思能力があるときに出会えていれば、彼女の意向に沿ってもっと積極的に仕事ができるのにと思います。最後まで自分らしく生きるために、私がまだまだ利用が少ない任意後見契約の締結を顧客に勧めているのはこのためです。
当事務所の特徴は、外資系の銀行に勤めていた夫の力を借りて、渉外関係の仕事に力を入れていることです。外国の方の相続登記、日本に進出してくる外国企業の立ち上げに関わる手助けなどをしています。
日本の会社法、登記制度、外国人登録、外為のことなど、説明に時間がかかり、採算は度外視ですが、色々な国の人との出会いがあり、事務所にいながらにして世界が広がる面白さがあります。この分野でのインターネットの威力は絶大です。国も、距離も関係なくなりました。ロシアやスペインの会社が会社設立を依頼してきました。
ところで、最近の司法書士を取り巻く環境の変化には恐ろしいものがあります。
会社法の改正は法の基本理念まで変えてしまいました。IT化の波は、登記制度をガラリと変えようとしています。いわゆる「権利証」もなくなりました。その他の分野でも、改正は目白押しです。これまでの知識や経験が全く役に立たなくなります。
さらに、簡易裁判所の代理権という新しい職域も付与されました。この波にどこまで司法書士がきちんと向かい合い市民の期待に応えていくことができるかが、司法書士という資格が将来に亘って残っていけるかどうかのカギとなるような気がします。
幸い元気のいい青年司法書士が変化を勝機と捉え果敢に立ち向かっています。私も「老け込んでいる場合ではないよ」と神が与えてくれた若返りのチャンスだと感謝し、記憶力の衰えた脳に刺激を与え、何とかこの激動の時代に振り落とされないようしがみついていきたいと思っています。